三位一体ではない!?エホバの証人の教えは本当なのか?(イエス編)

私おかもとがキリスト教会の人たちと交流を持つようになって、しばらく疑問に思ったことがあります。
その疑問とは・・・
三位一体という教理です。
三位一体とは何ですか?・・・
年若いクリスチャンに質問したところ、このように答えてくれました。
”神様とイエスキリストと聖霊が同じなんです。”
さらに親切にスマートフォンで三位一体の画像を見せてくれました。
そこで私はこう答えました。
それにおかもっさんはエホバの証人やったもんな
しかしイエスキリストはミカエルですよね??
ミカエルは大天使、イエス様は神なんや
今回は三位一体のすべてのことをお話しすると長くなるので、まずイエス様が神なのかどうかについて解説していきますね
もくじ
三位一体をエホバの証人はどのように考えているのか?
エホバの証人は父、子、聖霊の三位一体を否定しています。
エホバの証人公式WEBサイトでは三位一体をこのように説明しています。
神
と イエス に 関する 聖書 の 教え は 非常 に 明快 です。理解 に 苦しむ と いう こと は あり ませ ん。聖書 の 中 に,「三位一体」と いう 言葉 や 概念 を 見いだす こと は でき ませ ん。聖書 は イエス ・ キリスト が 神 の 初子 で ある と はっきり 述べ て い ます。(コロサイ 1:15)
私おかもとは、三位一体の教理をエホバの証人に教えてもらった?
私がエホバの証人の研究生だったとき、三位一体の教理をエホバの証人である母親から教えてもらいました。
”神であるエホバと、イエス、聖霊はキリスト教では一つの神なの”
そういったあと、続けてこのように話しました。
”エホバの証人の教理は三位一体の教理を否定しているけどね”
この時、私はイエスが一本の杭(キリスト教では十字架)でお亡くなりになったとき、一人の神であれば一体だれがイエスを復活させたのかが分からないと感じました。
つまり三位一体否定説の方が論理的につじつまが合うと考えました。
聖書を学び始めた人はそう考えてしまうわな
イエスキリストはミカエルと同じ?
エホバの証人はイエスキリストとミカエルが同一である事を信じています。
ものみの塔ではこう説明しています。
ミカエルがみ使いの頭,つまりみ使いの長であり,王として支配するために立ち上がり,神の王国が誕生する時に先頭に立って天からサタンを追い出すという諸事実は,いずれもわたしたちをただ一つの結論に導きます。すなわち,「大いなる君ミカエル」は,イエス・キリストご自身にほかならないという結論です。 ダニエル 12:1。
私がエホバの証人時代に、当時テレビゲームをしていた兄にこう言ったことがあります。
ゲームに出ている大天使ミカエルは実はイエスキリストなんだよ!!
そして数日後・・・
さらに兄は私にこういったことがありました。
み使いの頭はミカエルやから、イエス様とミカエルは同じやという考えなんやな
ラッセルはものみの塔を立ち上げる前に、セブンスデー・アドベンチスト教会と接触していましたしね
キリスト教会では三位一体を信じているのか?
キリスト教はカトリックもプロテスタントもさらに正教会も神様は三位一体であることを信じています。
カトリックやプロテスタント、プロテスタントの中にも長老派や改革派、バプテスト派などエホバの証人が言うキリスト教世界の中には、細かな宗派がいくつも存在します。
しかし神様は三位一体であること信じているなら、宗派の垣根を超えその人たちは全員兄弟姉妹であるという考え方なのです。
聖書には神様は三位一体であるとは書かれていませんよね?
聖書には三位一体と書かれているところはありません
ここは誤解が無いようにお答えしますね
三位一体の教理が書かれているヨハネ第一5章7節は改ざんされた内容なのか?
エホバの証人のサイト内で、三位一体の聖書改ざんがあったことを示す文書が載せられています。
一部の古い聖書翻訳では,ヨハネ第一 5章7節に次のような言葉が含まれています。「天において記録を有するもの三つあり。御父(みちち)と御言葉(みことば)と御霊(みたま)なればなり。この三つは一つなり」。しかし,信頼できる写本を見ると,この言葉が原文には含まれていなかったことが分かります。これは後に書き加えられたものです。そのため,信頼できる現代の聖書翻訳はこの部分を除いています。
やはり聖書研究者と言えますよね!
もしこれをエホバの証人が発見したのであれば、信頼できる新世界訳聖書はとなっとたんやないか?
エホバの証人が独自に死海文書などの聖書写本を調べられるはずは無いと考えてます
ものみの塔が出版した聖書に対する洞察も、ソース元は我々のキリスト教の図書館でしたしね
話をヨハネ第一5章の聖句に戻しますね
私たちが使っている新改訳聖書、新共同訳聖書もこの三位一体の聖句はありません
三位一体を示す概念は聖書に書かれている?
聖書には文字通り神様は三位一体であるとは書かれていませんが、概念は書かれています。
ヨハネ1章1節~4節
初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった。この方は初めに神と共にいた。 すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない。彼によって存在するようになったものは命であり,命は人の光であった。
出典:新世界訳聖書より
つまり言葉は神であったのでイエス様は神だということになります
これはエホバの証人がイエス様が神ではないとする回答ですね
エホバの証人は聖書教理よりも自分たちの教理を上にしている?
エホバの証人は聖書が書かれていることよりも自分たちの教理を上にしています。
エホバの証人公式WEBサイトでもGod かa Godかについて書かれている記事があります。
ものみの塔はa Godであったことを証明するために、コプト語までさかのぼって解説しています。
このことについてはエホバの証人公式WEBサイト「言葉」は“God”か“a god”かを参照してください。
イエスキリストは神ではなく被造物であるという前提で聖書を調べていくと、いくつか矛盾しているところが出てきてしまいます。
ものみの塔は、そういうところを世界中のあらゆる文献を探し、イエスは神ではないと書かれた資料を取り上げて説明します。
実はヨハネ1章の他にもイエスは神だとしている個所がある
コロサイ1章15節にもイエスキリストが神だと書かれている個所があります。
神
と イエス に 関する 聖書 の 教え は 非常 に 明快 です。理解 に 苦しむ と いう こと は あり ませ ん。聖書 の 中 に,「三位一体」と いう 言葉 や 概念 を 見いだす こと は でき ませ ん。聖書 は イエス ・ キリスト が 神 の 初子 で ある と はっきり 述べ て い ます。(コロサイ 1:15)
このコロサイの聖句を新世界訳と新共同訳とで比較すると・・・
新世界訳はイエスは全創造物の初子だとし、他のすべてのものとすることで、イエスキリストを被造物としているのです。
つまりどういうことや?
新共同訳では、イエスは神であり創造主であることが書かれています。
しかし新世界訳では、イエスは創造主ではあるが被造物だとしています。
これだけでは納得いかないですね
ヨハネ20章28節~29節
それに答えてトマスは彼に言った,「わたしの主,そしてわたしの神」 イエスは彼に言われた,「あなたはわたしを見たので信じたのですか。見なくても信じる者は幸いです」。
出典:新世界訳聖書より
ヨハネ10章30節
わたしと父とは一つです
出典:新世界訳聖書より
では長いですが、次の聖句をご覧ください
ヨハネ14章8節~9節
フィリポが彼に言った,「主よ,わたしたちに父をお示しください。それで十分です」。
イエスは彼に言われた,「わたしはこれほど長い間あなた方と過ごしてきたのに,フィリポ,あなたはまだわたしを知らないのですか。わたしを見た者は,父をも見たのです。どうしてあなたは,『わたしたちに父を示してください』と言うのですか。出典:新世界訳聖書より
だからイエス様は神なんや!!
もしイエスキリストが神でなければ神の愛が半減してしまう?
もし神様がイエスキリストではなく、被造物でしたらどうでしょうか?
神様ご本人が十字架で人の罪の為死んでくださったのと、被造物であるミカエルが一本の杭で死んでくださったのとでは、どちらが神の愛を感じられるでしょうか?
恐らく前者だと思います。
これを後者だと言っているのがエホバの証人です。
これがエホバの証人の神学と言えます。
しかしこういう考えもあるよということだけでも知っていただきたいと思います
三位一体を理解するには時間がかかるの?
実はキリスト教徒でも、三位一体の教理は難しく理解するのにすごく時間がかかったという人が大勢います。
実は私もそのうちの一人でした。
私は、ニューコミュニティチャーチのドリュー牧師にイエスキリストが地上で亡くなられた時、誰がイエスを復活させたかについて質問したことがあります。
その時ドリュー牧師はこう説明されました。
”それは父なる神がイエスを復活させられました”
その後、私はイエスは100%神であり、100%人間であることを否定する動画をみました。
動画の中で知識のある人たちが・・・
それじゃ200%になるじゃないですか!!
その後に、また別の動画でこうおっしゃられた人がいました。
イエスは100%神でなければ人を救うことはできません。イエスは100%人でなければ死ねません。
約半年の間悩みましたが、イエスは神であることが信じられるようになりました。
確かに三位一体を理解することは難しいかもしれませんが、今回紹介した聖書の聖句を繰り返し読んでいるうちに、イエスキリストは神なんだということが分かってくるのではないかと考えています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
聖書はイエスキリストが文字通り神だと書かれているところが複数あります。
しかしその部分をものみの塔は否定したり、聖書に余分な語句を入れたりしています。
ものみの塔という色眼鏡をかけているとどうしてもその部分が分かりにくくなってしまいます。
ですのでものみの塔ではなく、しばらく今回紹介した聖書の聖句そのものを読んでみることをオススメいたします。
聖書は本当はイエスが神であることについて語っていることが、だんだん解ってくるのではと思っています。
もし理解できない!!と思われた方は、直接牧師に連絡されることをオススメいたします。
なかなか教会を見つけることができないと思っている方は、オススメ教会のページを参考にしてください。
まだ聖霊の解説がまだでしたね
しかしもう知識のお腹がいっぱいで・・・
Comment
初めまして、
私自身はエホバの証人とかかわりがあるだけの無宗教者なのですが
1点気になることがありご質問させていただきます。
コロサイ1章15節の翻訳違いについて
ギリシャ語を調べていて『最初に創造られた』に当たるπρωτότοκος(プロトトコス)
という語が入っているのですがどうして共同訳では『すべてのものが造られる前に生まれた』になっているのですか?
メッセージありがとうございます。
いや~私はギリシャ語は分らないですね・・・
なので共同訳がどうしてそういう訳になっているのかも正直分かりません。
申し訳ないです。
しかし一般の方でギリシャ語に精通されておられるのですね!!
正直に言ってスゴイです!!
このことはギリシャ語ができる牧師なら分かる内容かもしれませんね。
牧師は聖書をヘブル語、ギリシャ語で読めるよう神学校で学習していますので。
確かにイエス様は神様なので、初めは無いという方なので生まれた・・・
つまり初めはあったとはなかなか考えにくいですね。
ちょっと調べてきました
日本語がおかしいかもしれませんが思考の言語化は難しいですね
新約聖書(英)コロサイ1章15節
He is the image of the invisible God, firstborn of all creation;
どうやら英語訳の段階では各聖書の文面に大した違いはないようです
どの聖書でもπρωτότοκοςは英語ではfirstbornと訳されており
これを三位一体派の英語圏の人が理解するor日本語訳する時に
firstbornの字義通りの「初子」・「長子」ではなく
first-born「~より先に-生まれた」としているようです。
ただ直後のコロサイ1章18節でもπρωτότοκοςの語は使われており
そちらではそのまま『死人の中から「最初に生まれた」』の意味で理解・訳されています。
三位一体支持派ではπρωτότοκοςが
「最初に生まれた」以外で使われることもある事例として挙げている文書
使徒ヨハネの弟子と記録されているポリュカルポスのフィリピ人の信徒へ宛てた手紙の中に
その事例がある様なのですが、素人の私では流石に聖書外まで調べきれませんでした。
以上で、πρωτότοκος(プロートトコス)の報告を切り上げます。
いきなり話が変わるのですが
次にキリスト=神でなければ愛が減るかどうか?について私の感想を述べさせていただきます。
これを元にした三位一体の支持不支持は普遍的な絶対の答えは出ません。
なぜなら、自分が死ぬのと子供が死ぬのとで個人や文化圏によって感じ方が違うからです
例えば中華文明においては儒教思想の孝の教えが強く、どちらかしか生きられない場合は
子の側が率先して自死して当たり前という考えが強かったですし、
日本等において事故などで子を亡くした親の発言で
「代わりになってあげたかった」等の
子の死より自分の死の方が精神的に苦痛が少ない旨の言は良くあります。
ただ個人的には聖書の中を見ると神は子の死の方が辛い・重いと感じている節があります。
例として神がアブラハムに課した試練や、キリストの放蕩息子のたとえ話などからそれを読み取れると考えます。