私のエホバの証人だった履歴書 小学生時代 その3

登場人物
おかもと
後エホバの証人となる小学生
母
おかもとの母
のちエホバの証人となる主婦
石屋長老
ごごう会衆の長老
おかもとと同学年の息子を持つ
正雀姉妹
ごごう会衆に交わる主婦
おかもとの母親の研究司会者
注意※ 会衆名、登場人物は全て仮名です。
えっ!!校歌歌ったらダメなの??
私はエホバの証人じゃなければハルマゲドンで滅ぼされると思ってから、本格的にエホバの証人の学びをしなければと思うようになりました。
それから私はものみの塔が出版している、私の聖書物語の本をずっと読むようになりました。
この本は何度も繰り返し読みました。
それから母親からエホバの証人でハルマゲドンを通過するには、国家や校歌も歌ってはならないと言われました。
今でも母が言っていたことを思い出します。
”校歌を歌ってしまえばエホバに滅ぼされのよ!!”
しかし学校生活送っていれば、校歌を歌う機会が幾度もあります。
何百人といる生徒の中で、一人だけ校歌を歌わないというのはとてつもない勇気がいります。
ある日、私が校歌を歌っていないのを先生が見つけました。
”おかもと!!何で校歌を歌わないんだ”
”あっイヤ・・・お母さんやエホバの証人が歌ったらダメだと言っていたので・・・”
”学校では校歌を歌いなさい!!これは命令です”
しかし自分はハルマゲドンで滅ぼされたくはありません。
なので歌うふりをすることにしました。
えっ!!歌うフリでもだめなの?
”エホバはずっと見ている あなたが校歌を歌うこともお見通しなのよ”
これは母が言った言葉です。
では歌うフリでもダメなのかと聞いてみました。
”もちろんそれも駄目!!”
その時に、母親は若い人は尋ねるという書籍を持ってきて、校歌がどれほど悪いものかを見せてくれました。
やっぱりエホバの証人はカルトやで!!
しかしこれが原因でいじめられたりしませんでしたか?
おかもっちゃんはなんで校歌を歌わないのだと・・・
う~んそれでは神様はなぜイエス様を私たちに与えられたのかが分からなくなりますね
仏壇も年賀状もクリスマスも誕生日も全部だめ
私が小学4年生だったときおかもと家では、ずっと家に置いていた仏壇を捨てました。
そしてクリスマスも誕生日も祝うことを禁止にしました。
・・・と言っても派手に祝っていませんでしたが。
そして年賀状を友達に出すことも禁じられるようになりました。
”ええ!楽しいことは全部サタンが背後にやっていることから全てダメなの??”
じゃ何を楽しめばいいのと母に聞きました。
”それは主の記念式を祝ったらいいのよ”
私はその”主の記念式”はとてもおもしろく楽しいものに違いないと思い、ワクワクして王国会館へ行きました。
しかしその主の記念式とは、ただ長老という人が話をして”せんべいのようなパン”と”ぶどう酒”をまわすだけのものでした。
”全然つまらない・・・”
”エホバって娯楽を嫌うんだ”
”ハルマゲドンで生き残るためには、娯楽は捨てる必要があるんだな”とこのときに思いました。
しかしハルマゲドンで滅ぼされたくないので、私は受け入れることにしました
また集会に通いだす
また私は集会に通い出すようになりました。
当時あった火曜日の書籍研究や、金曜日にあった神権宣教学校にも行くようになりました。
しかしおもしろくない時間ではありましたが・・・
大抵木曜日ですよね?
私が通っていた会衆では金曜日にありましたね
母が初めて愚痴を言う
母親はずっと黙っていた愚痴を私に言うようになりました。
”お母さん実は司会者の人と長老に不満があるのよ”
実は私の家は少し複雑な家庭環境にあります。
その複雑な家庭環境であることを、石屋長老兄弟に言うべきだと司会者の正雀姉妹に言われたそうです。
”お母さんね、石屋長老兄弟も信用できないのよ”
石屋長老とは、博学で勉強熱心な兄弟でした。
本がとても好きで、読む本がないので大いなるバビロンと教えられているキリスト教の本も読んだことがあるとおっしゃられていまいた。
しかし伝道中にあるトラブルに巻き込まれます。
ある姉妹が伝道中、訪問した家の人に”お前の代表は誰だ”と言われたそうです。
そのときにこの姉妹は、思わず石屋ですと答えたそうです。
そのことを石屋長老兄弟に伝えると、”なぜ私の名前を出したのだ!” と大声で言われたそうです。
母は石屋長老兄弟のいきさつを知っていたので、正雀姉妹になぜ私たちの家庭環境を石屋兄弟に言わないといけないのかを尋ねると・・・
”お母さんね、正雀姉妹から あっ司会者代わりましょうか?と言われたことがあるのよ”
まさにTHEエホバという感じです
続きはその4で・・・
また聞かせてな!
もう小6でも中学の話でもええんとちゃう?
ホンマに・・・