私のエホバの証人だった履歴書 小学生時代 その1

この記事では、私おかもとがどういう経緯でエホバの証人となり、そしてエホバの証人をやめたのか?
そしてどういう経緯でキリスト教会に行くようになったのかを皆さんと分かち合いたいと思います。
登場人物
おかもと
後エホバの証人となる小学生
当ブログの管理人でもある
母
おかもとの母親
ノストロダムスの大予言に夢中である主婦
後にエホバの証人となる
正雀姉妹
ごごう会衆に交わるエホバの証人
おかもとの母の研究司会者
※注意 登場人物は全て仮名です。
お母さんノストロダムスの大予言を読んでるの
私が小学校2年生だった時、家のテーブルに少し気持ち悪い肖像が描かれた本が置いてありました。
その本とは・・・
五島勉作 ノストロラダムスの大予言という本でした。
1986年当時、1999年に世の終わりが来るとテレビなどで放送されていました。
私の母親はそのことに夢中になり、この本の新刊が発売されればドンドン購入していました。
あの時は、ノストラダムスがよう流行っとったな!
この時の母親は、世界が一体どうなるのか気になっていたんだと思います。
おかもとさんのお母様は心配されていたんですね
お母さんこの人たちと聖書を学んでいるの
私は小学3年生となったある日、母親は家の玄関でずっと立ち話をしていました。
おそらく近所の母親の友達が来ているんだと思っていましたが、それにしてはとても長い・・・
それから数日後、また母親は立ち話をしておりました。
何をしているのかとても気になり、玄関に行ってみると知らない人が二人立っていました。
そして数日後、その人たちは玄関に入り込みずっと母親と話をしていました。
その時は、何かの訪問販売のおばさん達だと思っていました。
私が小学校から帰って来たとき、今度は家の中に二人の女性が入ってきていました。
”お母さん、この人たちと聖書の勉強をしているのよ”
このエホバの証人のお名前は正雀姉妹といい、母親の研究司会者となる人でした。
私は聖書についてよく分かっていませんでした。
なぜ母親は大人になってから聖書をいきなり学ぼうと思ったのか正直理解できませんでした。
お母さんが家にいない
日曜日、母親は朝食を作ってから行き先を告げずに外に出かけました。
どこに行っているのかすごく気になりましたが、そうしているうちに母親は昼過ぎに家に帰ってきました。
どこに行っていたの?と聞くと・・・
”お母さん集会に行っていたのよ”と言いました。
集会?って何と聞くと・・・
”お母さん週に一回聖書の勉強しているでしょ?その聖書勉強の集会が日曜日にあるのよ”
何かよく分からない感じがいたしました。
しかし割と早くから行くようになったんですね
私は行ったり行かなかったりしていましたので・・・
それから毎週日曜日の私と兄の過ごし方は、母のいない時間中パソコンサンデーという番組を見て楽しんでいました。
地域大会へ行く
夏休みのある日、母親は私にこう言いました。
”明日、聖書の大会があるけど行く?”
電車好きだった私は電車に乗れるということで行くことにしました。
会場についてみると、ちょうど”経験”というプログラムの最中でした。
この経験のプログラムでは、女性の方と司会の男性の方とでひたすら喋っていました。
子供だった私は非常に退屈でした。
しかしこの時、エホバの証人をやっていると迫害に遭うということは学んだつもりでした。
経験の話を聞き終わる前に、母親がこう言いました。
”知っている人がいないし帰ろうか?”
そう言って私たち親子は地域大会の会場を後にしました。
各人がエホバの証人にどのようにしてなったのかを説明していくのです
その迫害にどのように耐えてきたのかをこの経験で話すのです
続きは履歴書その2で・・・
いかがでしたでしょうか?
今回は私の母親がどのようにエホバの証人と出会って集会に行くようになったのかを、読者の皆さんと分かち合いました。
おかもとさんのお母様がなるぐらいですから
当時からパソコン好きやってんな!!
まぁ確かにそうでしたね
わし置いて話せんといてや(笑)