エホバの証人が言っている地上の楽園は聖書的なのか?

エホバの証人の希望と言えば・・・
地上の楽園で永遠に暮らすことです。
この目標があるからこそ、伝道などの奉仕活動に積極的になれるのです。
私もこの希望があるからこそ頑張れた部分があります。
ほんまにそう思ってはったん?
周りが人が死ぬと天国に行けると言っていたのに対して、それは違うと心で思っていましたし・・・
また私も混ぜてもらってもいいですか?
なんでエホバの証人は地上で永遠に生きると言っとるんのや?
それでは今回は地上で永遠に生きることは本当に聖書的なのかについて解説していきましょうか?
もくじ
地上の楽園についてものみの塔ではどのように解説しているのか?
ものみの塔はどの書籍でも、”エホバは地上の楽園をお約束されている”と書かれています。
エホバの証人公式WEBサイトではこのように説明されています。
エホバは,サタンが行なった悪い事柄をすべて完全に正されます。エホバはイエスを地球全体の王にされました。イエスの支配のもとで,地球は楽園(パラダイス)に変えられます。
ダニエル 7:13,14。ルカ 23:43。
エホバの証人は新天新地って言わへんのや!
あんさんホンマに脱エホバなんか??
エホバの証人がホンマにそう考えよるのか?
本当にエホバの証人は地上の楽園を待ち望んでいるのか?
私がエホバの証人だった時、周りのエホバの証人は地上の楽園について、その通り信じている人と、半信半疑な人、全く信じない人の3タイプの人たちがいました。
本当に信じている人たち・・・
本当に信じている人は、自分でエホバの証人となった人たち・・・
つまりエホバの証人1世の人たちです。
中には将来自分が楽園で住む家を絵に書いて待ち望んでいる人もいました。
そして奉仕でも活発に取り組んでいます。
半信半疑な人たち・・・
そして半信半疑な人は、熱心なエホバの証人である人の配偶者・・・
つまり、わたしの経験上中年の男性信者が多かったと思います。
当時、私はこの人たちも地上の楽園で永遠に生きる希望を持っていると思っていました。
しかしこういう人は、配偶者である妻がとてもうるさく勧誘するので、仕方なしに入信している人なのです。
とりあえずエホバの証人の教えには従うが、心からしたがっていません。
そして中には家族サービスでエホバの証人の長老をやっていた人もいたようです。
全く信じていない人たち・・・
そして楽園の教理を全く信じない人がいるのも事実です。
この人たちは、ほぼ親がエホバの証人である2世または3世信者です。
つまり好きでもないエホバの証人の活動を、親が無理やり従わせているのです
母親、または父親がエホバの証人の活動にとても熱心なので、いやいや入信してしまったのです。
なので楽園はおろか、ハルマゲドンが将来起こるとは考えず伝道をしていることが多いです。
私がまだエホバの証人だった時に、伝道中2世信者にこう言われたことがありました。
”お前本当に将来、楽園が来るとでも思っているの?”
この2世信者はこう言いながら、その後一軒一軒家を訪問して”エホバ神は地上の楽園をお約束されています”と言っていました。
聖書は本当に楽園のことが書かれているのか?
ものみの塔や他の書籍などでは、地上は楽園になることがたくさん書かれています。
しかし実際に楽園のことが書かれている聖句は一か所しかありません。
新世界訳では今日あなたに言いますが・・・と言うことになっています
新共同訳、新改訳ではこのように説明しています。
しかし新世界訳ではこのように説明しているのです。
全然違うやん!
イザヤ書で予言されているのは楽園なのか?
聖書に書かれている楽園とは、天国の事だと言うことが新世界訳ではない聖書から分かることができました。
しかしイザヤ書にある聖句は地上の楽園のことを表しているのではという疑問が出てきます。
楽園が天国だと言うことは分かりましたが、イザヤ書の予言は地上の楽園のことを言っているのではないですか?
どういうことや
ではその箇所の聖句を引用してみますね
イザヤ11章6節~8節
狼は小羊と共に宿り、豹は小山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し獅子も牛も熊もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ幼子はマムシの巣に手を入れる。
出典:新共同訳聖書より
この聖句は先ほど私とあずまさんとで語っていた新天新地の状況です。
新天新地とはエホバの証人の楽園とは異なる?
この絵をご覧ください
啓示の書(黙示録)21章1節~4節
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
出典:新共同訳聖書より
この地上の楽園のイラストは最初の地のいいところをイメージして描かれていますよね?
新天新地には海もない?
新天新地には海が無いと書かれとるんや!
わしは聖書を字義通りに解釈するディスペンやから・・・
なので新天新地には海は無いと思うとるんや
しかし私はそれを比喩的にとらえています
私はエホバの証人の神学は答えは一つしかないという環境で育ちましたので、牧師によって答えが異なるという事を受け入れることが難しかったです。
しかし救いに関することや、神はイエスキリストであることなど、核となる肝心な部分についてはどの牧師も同じことを言っていました。
細かな意見の相違はありますが、それを確実に知らなければ救われないことは全くありません
神学の違いによってここは分れるところですが、私はそれでよいと思います
つまり新天新地は素晴らしい場所であることは間違いないです!
まとめ
いかがでしたでしょうか?
楽園またはパラダイスという言葉は聖書には一か所しか書かれていません。
それも天国のことを指しているものと考えることができます。
そしてエホバの証人のように楽園での希望を抱くよりも、聖書を見れば新天新地が来ることを神様は約束されています。
聖書を読めば、死後に天国に行く希望を持ちながら、最終的に新天新地に行ける希望を持つことができます。