本当に聖書は地獄があることを教えているのか?

この疑問はエホバの証人だった人、またクリスチャンの人でも地獄は本当にあるのか分からないと言われる方も多いと思われます。
教会によっては地獄を教えていないところも確かにありますね
島西牧師が語った通り、教会によっては地獄をしっかり教えていないところも多いようです。
もくじ
聖書の様々な個所に書かれていた地獄の教理とは?
私が使っていた新世界訳聖書で説明してもらえますか?
そうしないと分からないので・・・
えらい本気やな!!
まっ!新世界訳からでも地獄が解説できたなら、
エホバの証人の方々が言っていることも間違いやということが分かるやろう
そうしなければおかもとさんはご納得されませんよね!!
ではご一緒に新世界訳聖書を使って解説していきましょう!!
マタイ25章41節
ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい
出典:新世界訳聖書より
この聖書箇所から分かるのは、永遠の火は悪魔とその使いたちのために備えられていると書かれています。
啓示20章10節
そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方がすでにいるところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。
出典:新世界訳聖書より
ここで、悪魔と偽預言者が火と硫黄の湖に投げ込まれて、昼も夜も責め苦に遭うとあります。
もしエホバの証人が言うように人の魂も死ぬのであれば、昼も夜も責め苦に遭うことはありません。
魂が死ぬことが、昼も夜も責め苦に遭う状態なんじゃないですか?
ここは文字通りに火と硫黄の池に投げ込まれることで、昼も夜も責め苦に遭うのが正解です
おかもっさん!えらい頑固やな!
教えることの喜びを感じますね!!
マタイ13章41節~42節
人の子は自分の使いたちを遣わし,彼らは,すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し, それを火の燃える炉の中に投げ込みます。そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。
出典:新世界訳聖書より
マルコ9章47節~48節
また,もしあなたの目があなたをつまずかせるなら,それを捨て去りなさい。あなたにとっては,片目で神の王国に入るほうが,二つの目をつけてゲヘナに投げ込まれるよりは良いのです。 そこでは,うじは死なず,火は消されないのです。
出典:新世界訳聖書より
ゲヘナとはエホバの証人も知っているように、古代のゴミ捨て場のことを言っていますね
引用した聖書箇所をまとめると・・・
じゃ一つ一つ検証してみますか
聖書に書かれている地獄の教理は比喩(例え話)なのか?
これをみてください
確かに聖書は地獄について語っているように思えますね・・・
もしこれらの聖句を比喩にしてしまえば、聖書のどの部分が本当でどの部分が比喩なのかが分かりにくくなります。
エホバの証人の方々のように、聖書は統治体でしか解説できないように思い込まされてしまうとどうなのでしょうか?
聖書が語っている言葉を、自分の教理に合わせて変化させることができます。
つまり、聖書よりも自分たちの教理の方を上にしてしまうということです。
これは統治体が行っているやり方と言えます。
そして悪質と言えます
しかしまだ疑問があります
地獄は悪霊たちも知っているんでしょうか?
地獄は悪霊たちも恐れるところ??
ルカによる福音書8章26節~31節
一行は、ガリラヤの向こうの岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。
イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」イエスが汚れた霊に男から出るように命じられたからである。
イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。出典:新共同訳聖書より
苦しめないでほしいと事と、底なしの淵へ行けという命令を出さないようイエスキリストに願ったということは、地獄がどんなところかを悪霊たちは知っていたと言うことになります。
なので、おそらく地獄についてもそれなりの知識があると思われます
しかしまだ疑問があります
地獄には誰が行くのでしょうか?
もう一度聖書から調べてみましょうか
地獄には誰が行くのか?
まずは聖書箇所を調べてみましょう。
マタイ25章41節
ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい
出典:新世界訳聖書より
ここで言われているのは、悪魔とその使いたちとあります。
そして・・・
啓示20章10節
そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方がすでにいるところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。
出典:新世界訳聖書より
なので偽預言者つまり人間も地獄に行っていますね
また聖書を開いてみましょうか
ローマ6章23節前半
罪の報いは死です
出典:新世界訳聖書より
罪の報いは死ですとあります。
関連の聖書箇所を開きましょうか
ローマ3章23節
というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり
出典:新世界訳聖書より
これはエホバの証人の方々でも共通認識のはずですね
全ての人は亡くなるとよみ(陰府)の世界に行くのではないですか??
聖書が語るよみの世界とは・・・
前回の記事で天国と地獄とは異なりよみ(陰府)の世界があると解説しました。
詳しくは下記のリンクをクリック(またはタップ)してください。
↓↓
えっ本当!?地獄はエホバの証人が言うように存在しないのか?
しかしこれは旧約聖書時代の人たちの認識です
聖書箇所を調べましょうか?
ヘブライ語聖書時代の人たちは全てよみ(陰府)に行った?
創世記を見ると天国ではなくよみ(陰府)に行くとあります。
創世記37章35節
それで,すべての息子たち,すべての娘たちが次々に立ち上がっては慰めたが,彼は慰めを受け入れようとせず,しきりにこう言うのであった。「わたしは嘆きながら我が子のもとへ,シェオルへ下るのだ!」 こうして父は彼のために泣きつづけた。
出典:新世界訳聖書より
この場面はヤコブ(後のイスラエル)が息子ヨセフが亡くなったと思い込み嘆いている場面です。
嘆きながらシェオルすなわち”よみ(陰府)”へ下って行こうとあります。
つまりこの時代は天国に行くと言う希望はなく、人は亡くなるとよみ(陰府)に行くことが常識だったようです。
さらに続きます。
詩編88篇3節
わたしの魂はじゅうぶん災いに遭い,わたしの命はシェオルと接するまでになったからです。
イザヤ38章10節
わたしは自ら言った,「わたしはわたしの日のさなかにシェオルの門に入って行く。
出典:新世界訳聖書より
いくつか聖書箇所を引用しました。
旧約聖書(ヘブライ語聖書)の時代は、クリスチャンが天国での希望を抱いている状況とは異なります。
さらに詳しい図を表示します。
今この神を信じた人たちはどこにいるのですか?
アベルやノア、アブラハム、イサク、ヤコブなどの神を信じる人たちは、エフェソスの聖句にあるようにイエスが天国に連れて行かれたと書かれています。
エフェソス4章8節
それゆえにこう言われます。「高い所に上った時,彼はとりこを連れ去った。彼は人々[の]賜物を与えた」。
出典:新世界訳聖書より
つまりよみ(陰府)の世界で神を信じていて捕らわれている人たちをイエス様は天国に引き上げられてたと私たちは解釈します
今はヘブライ語聖書時代の人たちは天にいるのですね
よみ(陰府)は火の池つまり地獄に投げ込まれる
聖書によれば、よみ(陰府)は火の池に投げ込まれるとあります。
火の池・・・つまり地獄の事です。
黙示録(新世界訳では啓示ですね)をみるとこのように書かれています。
啓示20章14節から15節
そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。 また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた。
出典:新世界訳聖書より
ここではハデスと書かれてますが、よみ(陰府)と訳せます。
ヘブライ語聖書時代はよみ(陰府)はシェオルやったんや
ギリシャ語聖書時代のよみ(陰府)はハデスなんやな
ここでのハデスつまり よみ(陰府)は火の池に入れられると言うことです。
また図で説明したいと思います
今の時点では誰も地獄には入れられていない
天国そしてよみ(陰府)には亡くなった人たちがいますが、実はまだ地獄には誰も入れられていないのです。
セカンドチャンス論は本当なのか?
エホバの証人は義者と不義者の復活があることを信じています。
この義者とは、ヘブライ語聖書(旧約聖書)時代の義者です。
つまりアベルやノア、アブラハムやイサク、ヤコブ、ダビデも義者に含まれます。
しかし不義者とは、エホバやイエスキリストを知らずに亡くなった人たちのことと定義しています。
日本で言えば、聖徳太子や源頼朝、さらに言えば豊臣秀吉、徳川家康も不義者と定義することができるかもしれません。
・・・ではキリスト教の教えではどうでしょうか?
つまりセカンドチャンスのことですね
しかし聖書学者と呼ばれている人たちの中にはセカンドチャンスを肯定している人もいるのは確かです
セカンドチャンスは聖書学者の間で議論される場合がある
島西牧師のモデルである牧師お二人は、セカンドチャンスについて否定しております。
そして日本でテレビ伝道をされていた中川牧師も否定しております。
しかしレムナント出版の久保牧師はセカンドチャンスを肯定しています。
因みに久保牧師はセカンドチャンスについて書籍や動画、インターネット等で解説されている方になります。
聖書箇所を見ても、確かによみの世界でイエスご自身が宣教をなさっている個所があります。
しかしそれはノア時代の人たちだと記述しています。
セカンドチャンスについて結論を言うと、分からないというのが最も適切な答えかもしれません。
亡くなった後ではなくこの世で、イエス様を信じるのが一番重要で大切なんやな
まずは今の自分にできることをしなければなりません
自分でまずこの世で生きている間にイエス様に信仰を置くこと
これ以外に救いはないです!!
まとめ
今回は本当に聖書は地獄について語っているのかについて解説してきました。
エホバの証人の方々が用いている新世界訳聖書を見ても、地獄について語っているところがあります。
統治体が書いているものみの塔という眼鏡を外して聖書を読んでみれば、簡単に誰でも地獄について確認することができます。
”目の見えない人のために聖書の読み聞かせをしていたら、ものみの塔の間違いに気づいた”
これは架空のお話しではなく、私が直接聞いたお話しです。
統治体が書いているものみの塔ではなく、聖書を読むことでエホバの証人の教えが間違っていることに気づくことが分かるようになります。
キリスト教世界の中にも、エホバの証人以上に聖書を調べているグループがいくつも存在しています。
もし聖書教理に疑問があれば、牧師にメールなどで連絡をするのもおすすめです。
もしいい教会が見つからなければオススメ教会のページを参照してください。