エホバの証人の統治体は本当に神様から認められているのか?

あんさんところの統治体って言うことなすことコロコロ変わっとるけど・・・
なんでそない教理変更しとるの??
エホバの証人の教理はどんどん変わっていくことで有名です。
私が研究生時代によく母親が言っていた言葉があります。
”教理は変わっていくけども、肝心な教理は変わっていない”
エホバの証人の集会後に、”また教理変更があったそうよ”と言われたときに私はこう思いました。
つまりどんどん真実に近づいているという喜びを感じていました。
胡散臭いとは思わんかったんか?
光がどんどん増し加わる喜びを感じなさい・・・と
友人の牧師もエホバの証人にそのようにいわれて攻撃されたと言っていましたね
今回はコロコロ教理変更の発表をする統治体は本当に神の僕なのかについて解説していきましょうか
もくじ
エホバの証人の統治体とは・・・
エホバの証人を語る上で統治体は欠かすことはできません。
分かりやすく言えば、統治体はエホバの証人でいう指導者と言ってもよい立場にあります。
エホバの証人公式WEBサイトではこのように説明されています。
統治体は少人数の円熟したクリスチャンの一団で,世界中のエホバの証人に指示を与えています。統治体の役割には以下のような2つの側面があります。
1、聖書に基づく教えの準備を監督します。その教えは,エホバの証人の出版物,集会,学校を通して供給されます。―ルカ 12:42。
2、エホバの証人の世界的な活動を監督します。公の宣教に関する指示を与えたり,寄付された資産の活用方法を指導したりします。
1世紀には「エルサレムにいる使徒や年長者たち」がクリスチャン会衆全体のために重要な決定をしていましたが,統治体はその型に倣っています。(使徒 15:2)1世紀の忠実な人たちと同様,統治体の成員も組織の指導者ではありません。エホバ神がイエス・キリストを会衆の頭として任命されたことを認め,導きを求めて聖書を調べます。―コリント第一 11:3。エフェソス 5:23。
エホバの証人の決定事項は全て統治体で決められていると言っても過言ではありません。
私の母親も”聖書知識は統治体を通じて来るものなの”と言っていました。
そしてこの画像こそエホバの証人の階層を見事に表しています。
①でエホバからイエス、み使いを通じて統治体に聖書教理(霊的食物)が与えられます。
②それを各国にいる支部委員に与えられます。
③そのあと地域を旅行する監督たちに与えられます。
④それを長老団に与えられます。
⑤そして会衆に与えられます。
⑥やっと個人の奉仕者に与えられます。
私も子供のころは、統治体の兄弟達はエホバから認められたスゴイ人たちであることを本気で思っていました。
そしてものみの塔では統治体を忠実で思慮深い 奴隷と解説しています。
聖書の教えに基づいてエホバの証人を指導しているとしています
さらに聖書の教えは自分たちを通じて語られると言っています
統治体のメンバーはどのようにして決まるの?
私は研究生時代に母にこう言いました。
母はこう言いました。
”それは神の聖霊に導かれてから決まるのよ!”
これは一般のエホバの証人がそのように思っている答えだと考えます。
このことについてものみの塔はこのように述べています。
奴隷級の統治体は決して人間によって任命されるものではないからです。統治体は,西暦1世紀に12人の使徒を任命したその同じかた,すなわち真のクリスチャン会衆のかしらで,「忠実で思慮深い奴隷」級の主また主人であられるイエス・キリストによって任命されるのです。―ヨハネ 15:16,19。
出典:エホバの証人公式WEBサイト
ものみの塔1972年3月15日より
しかしこちらの記事をご覧ください
その統治体の成員が主イエス・キリストによって直接任命されたのでないことは確かです。この点では,1世紀のエルサレム会衆と提携していた統治体の成員も全員がそのように直接任命されたわけではありません。それでは,エレサルム会衆の「長老たち」で,12人の使徒の中にはいっていない人たちはどのようにして統治体の成員とされたのでしょうか。それらの人は明らかに,エホバの聖霊の指導のもとに行動した最初の12人の使徒から任命を受けて成員にされたのです。
出典:エホバの証人公式WEBサイト
ものみの塔1972年3月15日より
統治体はイエス様が任命したとあるけども、統治体の成員はイエス様が直接任命してしていない?
よう分らんな・・・
エホバの証人の統治体は、1世紀のエルサレム教会を模範にしているとものみの塔では解説しています。
エホバの証人は聖書の使徒の働き6章1節から7節で書かれていることをそのまま統治体の成員にあてはめて考えています。
つまり1世紀の使徒たちは直接イエスキリストが任命されましたが、当時エルサレムにいた成員全ては直接イエスキリストから任命されていないということです。
ざっくり簡単ではありますが、このように描きました
統治体の成員は結局のところ人間が決めているものだと考えます。
統治体は忠実で思慮深い奴隷なのか?
エホバの証人はこの言葉”忠実で思慮深い奴隷”という言葉をよく用います。
この言葉は私が現役信者だった時に頭に刷り込むように教えられます。
ではこの忠実で思慮深い奴隷という言葉は聖書のどこに書かれているのでしょうか?
マタイ24章45節~47節
主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。 主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。 あなた方に真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。
出典:新世界訳聖書より
しかしこの聖句は新共同訳聖書では若干ニュアンスが異なります
マタイによる福音書24章45節~47節
主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
出典:新共同訳聖書より
つまり世の終わりのことについて述べられています
そして全財産の管理は、私たちが受ける天国での報いということです
聖書は文脈をちゃんと読まんとあかんのや
きっとそのことが分かると思います
そんなんおかしいやろ!!
統治体はやはりイエスの祝福を受けているのではないですか??
統治体はイエスキリストから任命されている?
統治体はイエスキリストが任命しているとものみの塔は教えています。
統治体の成員は直接イエスキリストが任命していなくても、統治体そのものはイエスキリストから任命を受けている、すなわち祝福されているのだから問題ないと考えるのがエホバの証人です。
どういうことですか??
なぜなら聖書に統治体はイエス様によって任命されたと書かれていないからです
でも一世紀のクリスチャンの統治体は使徒の聖句にあるように使徒たちが任命したと説明されたではないですか
それって第三者がみてどうかや!
わしらは聖書に書かれていることを信用しよる
どういうことですか・・・
一世紀のクリスチャン会衆は統治体のような存在だったのか?
統治体は、一世紀のクリスチャン会衆(教会)の使徒たち長老たちに倣っているとエホバの証人は主張します。
では本当に一世紀のクリスチャン会衆は統治体のような存在だったのでしょうか?
使徒6章2節~6節
それで、兄弟たち、あなた方の中から、霊と知恵に満ちた確かな男子七人を自分たちで捜し出しなさい。わたしたちがその人たちを任命してこの必要な仕事に当たらせるためです。しかしわたしたちのほうは,祈りとみ言葉の奉仕とに専念することにします。こうして話されたことは大勢の者全員の喜ぶところとなった。それで彼らは,信仰と聖霊に満ちた人ステファノ、およびフィリポ,プロコロ,ニカノル,テモン,パルメナ,またアンティオキアの改宗者ニコラオを選び出した。そして彼らを使徒たちの前に立たせると、使徒たちは祈ってから彼らの上に手を置いた。
出典:新世界訳聖書より
赤のマーカーで書かれているところを読んでいただいて構いませんか?
うん?どういうことや!!
引用聖句を載せますね
使徒言行録6章2節~3節
わたしたちが神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで兄弟たち、あなたがたの中から”霊”と知恵に満ちた評判の良い七人を選びなさい。
出典:新共同訳聖書
この聖句に書かれているように、そのことをわたしたちが倣っていますね
だからわしはこの聖句に書かれている七人と同じことをやっとるわけなんやな
エルサレム教会が統治体のような働きをしていたかというとそうではありません
使徒トマスも後にインドまで宣教に行っとるしな
エルサレムが統治体やったとは考えられんのやな
十二使徒たちは確かにエルサレムにいた記録が聖書にありますが、後に十二使徒は宣教で様々な地域に行っています
ここで大切なのは統治体のような中央組織を、一世紀時代のクリスチャンは持っていなかったということです。
確かにパウロとバルナバは聖書の記述にあるように、エルサレム会議によばれています。
しかしこの会議はあくまでも場所を意味しています。
ものみの塔では一世紀にも統治体があったと書かれていますが、実際はそうではないのです。
聖書は統治体は偽モノであるとはっきり証明している
これは申命記とマタイによる福音書にはっきり書かれています。
申命記18章21節~22節
そして,あなたが心の中で,「エホバが話されたのではない言葉をどのようにして知るのか」と言う場合であるが, もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。
出典:新世界訳聖書より
エホバの証人は世の終わりの日について幾度も予言してきました。
そして最近では2000年は待たなくてもよいとものみの塔に書かれていましたが、それも起こりませんでした。
文字通り実現しておりません。
なので、これらの言葉はエホバが話さなかった言葉だと聖書から断言できます。
・・・そして
マタイ24章23節~24節
「その時,『見よ,ここにキリスト(油注がれたもの)がいる』とか,『あそこに!』とか言う者がいても,それを信じてはなりません。 偽キリスト(油注がれたもの)や偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きなしるしや不思議を行なうからです。
出典:新世界訳聖書より
統治体は自分たちを油注がれたものと言っています。
改めて聖書の凄さを実感してしまうわ!!
キリスト教では例え牧師でも自分を油注がれたものだと言っていません。
聖書では油注がれたものや偽預言者の話を信じてはなりませんとはっきり書かれています。
このことを通じて私たちはどうしたらよいのか?
統治体はイエスの本当の弟子である。
いやカトリック、プロテスタントの教会に集う人たちがイエスの本当の弟子である。
いやいや末日聖徒イエスキリスト教会の人たちである。
・・・こうなると誰がイエスキリストの本当の弟子であるのかが分からなくなります。
そのため使徒たちは、私たちの為に聖書を残しました。
一般的に牧師は聖書に書かれていることに従っています。
マタイ24章4節、5節
そこでイエスは答えて言われた,「だれにも惑わされないように気を付けなさい。多くの者がわたしの名によってやって来て,『わたしがキリストだ』と言って多くの者を惑わすからです。
出典:新世界訳聖書より
使徒の働きの中に登場する、ベレアの人たちのことを私たちは学ばなければなりません。
使徒17章10節、11節
すぐさま,兄弟たちは夜のうちにパウロとシラスを共にベレアに送り出した。彼らは到着すると,ユダヤ人の会堂に入った。 さて,ここの人たちはテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。
出典:新世界訳聖書より
エホバの証人の公開講演または、キリスト教の説教などで、長老または牧師がメッセージをします。
話されている内容が本当に聖書的なのかどうかを確認するには、実際に聖書を読んでみることがどうしても必要です。
そのことが聖書的なのかどうかベレアの人たちのように聖書を開いて確認せなあかんのや
まとめ
いかがでしたでしょうか?
統治体は神様が選んだというよりも、自分たちで立ち上げた組織ということができると思います。
そのことはものみの塔にも詳しく書かれています。
この世の中にはエホバの証人のように自分たちがイエスの追随者であり、忠実で思慮深い奴隷であると言っている人たちがいます。
もちろん私たち福音派と呼ばれるキリスト教グループもその中に入るでしょう。
しかし肝心なことは福音派であれ、カトリックであれ、エホバの証人の統治体であれ、聖書に書かれていることに従っていなければそれは正しくありません。
なので使徒の働きに登場するベレヤの人達のように、ものみの塔や他の書籍の答えが本当に合っているのかどうか聖書から調べてみる必要があります。
このブログでは聖書の文脈からものみの塔や他の書籍の誤りを解説しています。
このブログに書かれている記事も一緒に読んでみてはいかがでしょうか?
もし間違いに気づきましたら、教会の牧師などにメッセージをしてみることもオススメいたします。
どの教会の牧師にメッセージをしてよいか分からない方は、こちらの記事を参考にしてみてください。