エホバの証人の活動(伝道、集会)は本当に大変!どうしたらいいの?

エホバの証人の活動をしていると、かなりしんどいです。
一に伝道、ニに集会、三に予習というぐらいに体が休まる時間はあまりありません。
エホバの証人は伝道を積極的にすることで有名です。
正規開拓者、また補助開拓者となった兄弟姉妹は、毎月決まった時間を奉仕にささげなければなりません。
会衆でも地位の高い長老や奉仕の僕となった場合、その分責任も大きくなってきますのでなかなか休みを取りにくい状況となっていきます。
私も過去を振り返ってみると、正直よくやっていたなと思っています。
伝道も土、日を利用して無理して出ておりましたね
救いが確実に与えられたと実感していませんからね
エホバの証人の教えは救いを実感させません
実は新世界訳でも救いが書かれている聖句をわざわざ改ざんして、救いを確実に与えないようにしています
今回はそのあたりを解説していきましょうか
もくじ
エホバの証人時代のスケジュールとは
私はエホバの証人だった当時、月曜日から金曜日までのフルタイムのパートをしておりました。
私のエホバの証人時代の一週間を簡単に表にしてみました。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
8:00 | 仕事 | 仕事 | 仕事 | 仕事 | 仕事 | 食事 | 食事 |
9:00 | 伝道 | 集会 | |||||
12:00 | |||||||
15:00 | 休み
又は 伝道 |
休み
又は 伝道 |
|||||
17:00 | |||||||
19:00 | 食事 | 集会 | 食事 | 食事 | 集会 | 食事 | 食事 |
21:00 | 予習 | 休み | 休み | 予習 | 休み | 予習 | 休み |
※注意 もちろん3食、食事を毎日していました。
演壇に立って話をする”割り当て”が金曜日の集会にあれば、割り当て用の資料を夕食が終わってから作成していました。
因みに開拓奉仕の人たちのスケジュールとは
正規開拓者、補助開拓者は月にどれぐらいの時間を奉仕にささげなくてはならないのか?
表にしてみました。
1999年の時に、時間の見直しがあり減っています。
1999年以前 | 1999年以降 | |
正規開拓者 | 月90時間 | 月70時間 |
補助開拓者 | 月60時間 | 月30時間または月50時間 |
※補助開拓者は月30時間か月50時間かを選択できます。
私が当時パートで勤めていたところでは、私を含めて5名ほどのエホバの証人の人たちが働いておりました。
そのうち3名が正規開拓奉仕者で、会社には週2回から3回しか来ない人たちでした。
まぁそういう人は会社の交通費も不正に受給していましたから・・・
実際はバイクで来ているのに、バスと電車に乗ってきているようにして
しかしお一人だけ、冬シーズンになるとスキーに行ったりして約3か月の間、仕事を休んでいましたね
王国を第一にすれば与えられる?
正規開拓者を目指すよう勧める時に、よく言われる言葉があります。
王国を第一にすれば必要なものが与えられる
そのうち一人の兄弟が私に向かってこう言いました。
※因みに兄弟の名前は仮名にしております。
当時私の家は貧しく、フルタイムの仕事をしなければとてもやっていけない状態でした。
そこで私に追い打ちをかけるように、このようなことを言いました。
僕は開拓奉仕をしていてそのように思っているよ
当時この兄弟のお父さんは、大手電力会社で働いておられる方でした。
なのでこの兄弟は特に働かなくても食べていける人なのです。
開拓奉仕をしている人は、ご主人さんや親の支援があってやっていけている人たちが多いと思います。
つまり、王国を第一にしなくても働かずに食べていける人たちということです。
他の人は本当に必要な備えが与えられるのか?
家がお金持ちの人は、開拓奉仕がやりやすいと言えます。
しかし生活を切り詰めて、開拓奉仕をしている人たちもいます。
このような人たちにエホバは本当に必要なものを備えてくださるのでしょうか?
確かに地域大会の経験で・・・
”生活を切り詰めて開拓奉仕をしてましたが、ある兄弟姉妹から援助の手を差し伸べていただけました。エホバが備えてくださいました!!
・・・と言います。
昔は生活を切り詰めて開拓奉仕をしていても、裕福な仲間の兄弟姉妹たちが援助していた会衆もあったようです。
しかしながら今の時代はなかなかそういうわけにも行かないようです。
なので統治体は開拓者、補助開拓者の時間を減らして、その分仕事に充てるようにしていると言われています。
本当に楽しめるの?開拓奉仕
私がエホバの証人だったとき、地域大会の経験である兄弟がこういうことを仰っておりました。
”伝道を楽しみました!”
思わず私は”ええ!!??”と叫んでしまいました。
友達などに伝道をするときも正直イヤですが、家から家の伝道はもっとイヤでした。
なぜならエホバの証人のメッセージを喜んで聞く人なんていないからです。
場合によっては、訪問した家の人からおもいっきり叱られたこともありました。
勉強が苦手だった私は、私よりも年若い兄弟から伝道において注意をされたこともあります。
しかしこれも永遠の命をいただくため、私は必死になってやっておりました。
同じ職場で働いている兄弟に、伝道の秘訣を聞いてみた
私は家から家の伝道が本当に苦手でイヤでした。
しかし救われる為には嫌な伝道をずっとしておりました。
しかし開拓者の兄弟は、ほぼ毎日そういう活動をしております。
なので自分のモチベーションを高めるために、開拓者の兄弟に伝道をしていてどこがよいのかを聞いてみたことがあります。
※因みにこちらも兄弟の名前は仮名にしております。
参考になった?
終わり(END)
また別の兄弟にも聞いてましたが、だいたい同じ内容のことが話されました。
エホバの証人としては、しんどい辛いという考えを、楽しいおもしろいに無理やり考え方を変えて伝道しているような気がします。
なので、会衆内にはうつ病の人がとても多かったような気がいたします。
実はエホバの証人のWEBサイトにも開拓奉仕が大変だったことがうかがえる
エホバの証人のWebサイトを見ると、やはり開拓奉仕は大変だったようです。
「王国宣教」1999年1月号で発表されたように,正規開拓者と補助開拓者の要求時間が少なくなりました。新たな要求を満たすためには,正規開拓者は一奉仕年度に合計840時間奉仕するよう月々70時間を宣教にささげることになります。補助開拓者は,月に50時間を奉仕に費やします。こうした調整がなされた結果,多くの感謝の言葉が寄せられました。その中から,幾つかを紹介しましょう。
「天の父からの本当にありがたい贈り物です」。
「この備えに対する喜びや愛や感謝を何と表現したらよいか分かりません」。
「予定をこなすこともこれで随分楽になります」。
「これを機会にもっと多くの人が全時間奉仕を始めて,エホバに大いに仕えることから来る祝福を享受されるよう祈っています」。
エホバの証人の活動は聖書的なのか?
伝道、集会、予習など、様々なことを統治体は要求しています。
現在は開拓者、補助開拓者の必要時間が減ったとはいえ、今もこのことは要求しています。
ものみの塔(1986年1月15日)によるとこのように書かれています。
救いは,集会に出席することや,他の何らかの方法を用い,自分の労によって獲得できるものではありません。それは神からの無償の賜物なのです。それでもエホバ神は,永遠の命という神からの賜物を得るには,わたしたちの側に努力が必要であることを示しておられます。(ローマ6:23)それはどんな努力でしょうか。その一つは,自分の奉仕において精力的に励むことです! そのように努力する動機は,純粋な感謝の気持ちでなければなりません。神のみ子イエス・キリストは,かつて一人の男の人から,「主よ,救われつつある者は少ないのですか」という質問を受けたことがありました。イエスの答えは,その質問をした人だけではなく,わたしたちを含め,救いに関心を持つ他のすべての人を包含しました。イエスはこう答えられたのです。「狭い戸口を通って入るため,精力的に励みなさい。あなた方に言いますが,入ろうと努めながら入れない者が多いからです」―ルカ13:23,24
救いはエホバからの無償の賜物ですが、その賜物を得るために努力が必要と書かれています。
その一つが奉仕において精力的に励むこととされています。
奉仕とはつまり伝道の事です。
引用しているものみの塔の聖書箇所を見てください。
主よ救われつつあるものは少ないのですかとあります。
ここがエホバの証人の核となる教理と言ってよいかもしれません
そしてこの聖句は新共同訳聖書や新改訳聖書と異なります
救われつつの聖書箇所が改ざんされている?
ここで新世界訳聖書と新共同訳聖書の聖句を比較した図を表示します。
新世界訳では救われつつあるものと言われているのに対して、新共同訳では救われるものとなっています。
上手いこと訳しとるな!!
さらに精力的に励むの個所も
そして続く13章24節でも・・・
新共同訳では狭い戸口に入れるように努力する・・・
つまり狭い戸口に入れるようにしましょうと言っているのに対して・・・
新世界訳では精力的に励むするになっています。
この精力的に努力するつまり励むにして、奉仕をしないとハルマゲドンで滅ぼされますよと言いたいのです。
聖書では信仰と恵によって救われるとあります。
聖書を字義通りに解釈すると、救いの道に人の努力は入らないのです
ここで新世界訳の聖書箇所を引用します。
エフェソス2章8節から9節
まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰によって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,神の賜物なのです。 そうです,それは業によるのではありません。だれも誇ることのないためです。
出典:新世界訳聖書より
聖書を字義通りに解釈するなら、新世界訳を見ても信仰によって救われるとあります。そして業によるものではありませんとも書かれています。
業によるものではないと書かれていながら、ものみの塔では自分の奉仕において精力的に励むことです!と書いてあるのです。
本当に王国を第一にしている人は必要なものを備えてくださる
実はこの話、島西牧師のモデルになっている牧師の証なのです。
島西牧師のような証(エホバの証人は経験って言いますね)はいろいろなところで聞きます。
ある牧師は神学生の時に、お金があまり無いときに頼んでもいないのに奨学金が送られてきたりしたそうです。
また教会を立ち上げたある牧師は、イスもテーブルも食器も買うお金が無かった時に、どこか分からない場所からいきなりテーブルやイスが送られてきて、食器類も送られてくることがあったようです。
エホバの証人だった時は、こういう奇跡的なお話は地域大会の経験ぐらいしか聞けませんでした。
しかし私は教会に通いだしてから、こういうお話しは直接本人からよく聞くことがあります。
私の体験ではエホバの証人の時よりも今の方が、断然聖霊の導きを感じられます。
まとめ
エホバの証人の活動は本当に大変です!
新世界訳にもあるように救われつつとあるので、いくら奉仕をしても、いくら集会に行っても救いは実感できません。
もし楽園って本当なの?、ハルマゲドンってくるの?と疑問に思われた方は、このブログ内で解説しております。
またキリスト教についてですが、エホバの証人以上に熱心な聖書信仰のあるグループがいくつもあります。
教会の牧師にメールを送ってみることもお勧めいたします。
もし教会を見つけることが困難である場合は、こちらの記事を参考にしてみてください。