今日エホバの証人の人と駅前で少しお話してきたけど、かなりええ人達やったで!!
私もエホバの証人の長老とお話したことはありますが、確かに皆さん誠実な人たちですよね。
私は表も裏も知っているので、何とも言えないですが・・・
そうなんや・・・
しかしそんなこと知らんかったらめちゃめちゃ辛い悩み事なんかあったとき、ふらーと行ってしまいそうになるよな・・・みなさんええ人たちやから
なるほどそうですよね。
しかし一度エホバの証人の世界に足を踏み入れると、大変なことになってしまいます。
今回はなかたさんのために、エホバの証人のどこがやばいのかをお話していきたいと思います。
予言が外れているから
エホバの証人は過去何回も、終末予言をして外しています。
最近でエホバの証人が予言をした大きなものと言えば、1975年になります。
しかし1975年以降も、1914年を生きた人たちが亡くなるまでにハルマゲドンが来るとか、
2000年まで待つ必要はないかもという曖昧な予言をしたりしていました。
もちろんこの曖昧な予言も全て外れてしまいました。
なんでこないに予言しよるんや!
これは19世紀にさかのぼりますが、当時イエス様の再臨がいつなのかということが流行していました。
この流れに乗って、CTラッセルも独自に自分でイエス様の再臨がいつなのかを調べはじめました。
そこでいくつか彼なりに予言をしていたのですが、そのなかで1914年の予言が・・・まぁ私たちからすれば全然当たっていないのですが、彼らからすると当たったような感じで言われるようになりました。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるやな。
それで変な自信がついてもうて、予言することがやめられんようななってしもうたんやな・・・
そう言えるかもしれないですね。
窪ニッさん。
そのラッセルのおっさんは、1914年に実際どういうことが起きると言いよったんや?
異邦人の時が終わってしまい、世界にある国家がハルマゲドンで滅んでしまうという予言ですね。
1914年は第一次世界大戦がありましたよね。
世界大戦ということなので、やはりハルマゲドンのような大きな戦争だとCTラッセルは思ったそうです。
しかし戦争が終わってしまい、その後第二次世界大戦へと突入しました。
ということは予言が外れてしもうたということやな
・・・ということですが、大きな戦争が起きたということは予言が当たったと考えたようです。
なのでエホバの証人は、この1914年を軸にして考える文化が出来上がりました。
なるほどな・・・
しかしその直近の1975年の予言とか、ひろさんが言いよった2000年を待たなくてもええとか、すべて予言外しとるやん。
予言外しとったら怪しい宗教やってわかるんやないんか?
ここがエホバの証人の上手いところですね。
予言を外した場合、すぐさまエホバの証人の”ある人は”という風に切り替えます。
例を言いますと、1975年説が外れてからその予言はエホバの証人の一部のグループが予言したという風にして、エホバの証人の本家本元はそういう予言をしていないとしています。
上手いことやりよるな!!
教理がコロコロ変わる
エホバの証人の教理はよく変更になります。
これは私が現役の時代からよくありました。
教理変更があることで、怪しい宗教であると気づいてしまわないように、
聖書個所を引用して、教理変更は光が増し加わっている証拠であるとしています。
光が増し加わっているって何や?
これは箴言4章18節の輝きを増して真昼となるという聖句を引用して、教理が変更されていても、光が増し加わるということが聖書に書かれているから問題ないということですね。
箴言4章18節って、そういう意味やったか?
我々からするとこれは、明らかに間違った引用です。
しかしそうしないとコロコロ変更する教理の正当性を証明できないですよね。
なるほどな・・・
因みに過去どういう教理変更があったんや?
最近で言えば、1914年を生きた世代が亡くなる前に終わりが来るということでしたが、今の教理では、1914年を生きた世代と重なるもう一つの世代が亡くなる前に終わりが来るという風に教理変更がなされています。
なんでもありやな!!
聖書が改ざんされている
エホバの証人が使う新世界訳聖書は、自分たちで訳しているということで有名です。
そのため、私は現役時代このことをすごく誇りに感じていました。
流石はエホバの証人という感じでした
しかし、一般のキリスト教の聖書と内容が異なると言われたことがありましたが、実際にどこが異なっているのか全然わかりませんでした。
クリスチャンになってからも、そのことについてよくわかりませんでした。
しかし勉強を続けていくと、新世界訳聖書でものすごく大切な個所が改ざんされていることがわかるようになりました。
窪ニッさん!
どういうところが改ざんされとるんや?
改ざんされているところはいくつかありますが、特にイエス様が神様である個所は改ざんされています。
ほんまか!?
そりゃまずいやろ!!!
だから危ない宗教と言われているんですよね・・・
因みにどこ聖書個所が改ざんされとるんや?
フィリピ(ピリピ)2:6とか、ヨハネ1:1とかいろいろな個所で改ざんされています。
今回はすべて解説できないので、新世界訳聖書と、新改訳聖書のフィリピ(ピリピ)2:6を引用しますね
キリストは神のような方でしたが、神と同等になろうなどと考えることさえしませんでした。
新世界訳聖書 フィリピ2:6
キリストは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず
新改訳聖書 ピリピ2:6
ほんまや!!
こりゃひどいな!
他にも礼拝をしたと書かれているところ、敬意を表したとあったり・・・
とにかく新世界訳聖書では、イエス様を神としていないんですよね。
イエスキリストは神でなければならないのですか?
何かそれこそ傲慢なような気がしますが・・・
イエス様は神様じゃなかったら、わしら救われへんやん
私たちからすると、聖書にはイエス様が神様であると書かれているところ何か所も書かれています。
聖書は正しいと認めているのは、エホバの証人も同じですよね?
しかしエホバの証人はイエス様を神様としては見ていません。
聖書は認めていると言いながら、なぜイエス様が神様であることを認めないのか?
ここがエホバの証人の問題と言えますね
エホバの証人をやっていても救われない可能性が高い
私はエホバの証人時代、救いの確信を持ったことは一度もありませんでした。
私はエホバの証人として立派な働きができていないし、罪も犯している。
ハルマゲドンが来たら永遠の死が待っているのでは・・・
現役時代はいつもそう考えていました。
なので、心に平安を感じていることは一度もありませんでした。
なんや!わしらみたいに救いの確信はないんか?
なかたさんのおっしゃる様に、救いの確信が無いので当時はかなり不安でしたね・・・
本当に私はエホバに従っているかどうか自分でも怪しかったですから・・・
エホバの証人の場合、救いは与えられません
表向きは、イエスを信じてイエスの命令に聞き従うことで、救いは与えられるとエホバの証人は言っていますが、信仰のため厳しい戦いをするようにとも言っています。
つまり伝道や集会などに定期的に参加するようにと言っているようなものです
ということはエホバは救いは失うことがあると言っているんやな
ということです
エホバの証人の聖書解釈だと救いは失う可能性があるということですね
じゃエホバの証人をやっていても行いによっては救われんということやんな・・・
ということはめっちゃ不安になるやん!!
ということなんです
じゃ私たちはどうすればよいのですか?
イエスキリストが私たちの罪のために死なれたことを信じる
本当の救いの方法とは、イエス様が私たちの罪のために死なれたことを信じるということです。
墓に葬られたことで、確かに死なれたことを信じて、3日目に死を打ち破って復活されたことも信じなあかんな
とりあえずこの救いの教理に関しては別の機会に説明いたしますね
まとめ
いかがだったでしょうか?
エホバの証人がなぜやばいのかについて説明いたしました。
予言が外れていることや、教理が変わること、そして大切な聖書の意味までも書き換わっていたりと、かなりやばいことが行われてます。
しかしながらそれに気づきにくくさせているのが、エホバの証人の組織であると言えます。
もしエホバの証人の誤りに気付いた場合は、ぜひご自身で神様に祈っていただけたらと思います
疑いの心を持たず、本当のことを教えてくださいなと言えばきっとわかるはずでっせ!!
えっ関西弁で祈っても大丈夫なんですか?
私たちは神様に向かって、アバ父とよぶことができます
アバとはお父ちゃんですね
関西弁でも関東弁でも全然大丈夫なんや・・・
お父やんに助けて!!っていえば絶対に助けてもらえるし、聖書的な教会にも導かれると思うで!!
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