
これから、いよいよエホバの証人におかもとさんがなっていくのですね

いよいよやな
私がエホバの証人になる決心をしたのは、高校生のときでした。
私が通ってた高校はとても楽しい環境ではなく、友達は出来にくくクラスメイトは自分よりも年上の人だらけでした。
孤独を解消するためいろいろな人に声をかけましたが、なかなか親しくなることはありませんでした。
なので、特に高校一年生時代の私は常に孤独でした。
あるとき私はこう思いました。
孤独だな…
マンションのベランダから中学校時代の友達が高校の制服を来て、友達と仲良く帰宅しているのをみると、羨ましく思いました。
全て学校の成績が悪かったからな…
それからしばらくしてこう考えるようになりました。
確かエホバの証人の集会に行けば自分を受け入れてくれるかもしれない。
集会に行く前にエホバの証人の家庭聖書研究を母親に申し込むか!!
それから私は母親に家庭聖書研究を申し込みました。
このころ母親はエホバの証人でバリバリ伝道をしたりしていましたので、母親はものすごく喜んでいました。
海老色の書籍からエホバの証人になるための勉強をする
私は母親と”私は地上の楽園で永遠に生きられます”という書籍から学ぶことになりました。
この本は母親もエホバの証人になるまでに学んだ書籍になります。

ひろさんはお母さんと学んでたんやな
改めて聞くけど、エホバの証人になるためにはこういう本から学ばなあかんのか?

そういえますね。
因みにエホバの証人になるためのStepsはこのような感じですね。
一 司会者と書籍を使って学ぶ
二 伝道者になる
三 エホバの証人になる

因みに司会者ってなんや?

司会者とは、人をエホバの証人に導く人のことですね
分かりやすく言えば、師匠のような人と言えるかもしれませんね

へーそうなんや
キリスト教とは違うんやな
司会者となる兄弟が引っ越ししてくる
ある日、母親から新婚の兄弟姉妹が私たちの会衆に移ってくる話をしてきました。
どうも隣の市から20代前半で、ユーモアがありかつエホバの証人の理想のような方が引っ越ししてくるみたいよ!
どう集会へ行ってみる?
私は母親の勧めで再び集会に通うようになりました。

あっそうか
ひろさんは集会に行かんくなったもんな
再び集会に通うと、いつものように様々な方から声をかけていただきます。
背が大きくなったね。
また集会に来てくれるようになったんだ!
すごいね。
当時の私は高校にも友達がなかなかできにくくすごく孤独でした。
そのため、自分を受け入れてくれる人たちがいるだけでとても幸せに感じていました。
それから私は定期的に集会へ通うようになりました。
そして引っ越ししてきた兄弟とはじめて挨拶いたしました。
はじめまして!
大田(仮名)です。
よろしくね。
個人的にこの大田兄弟には本当にお世話になりました。
会衆でバスケットボールを企画したり、バーベキューを企画したりと、家にいた私をいろいろなところに連れ出してくれました。
後に大田兄弟の会社で働かせていただいたこともありました。
今思うと本当に懐かしい思い出が蘇ります。
しばらくして、私は研究司会者をこの兄弟へ変更したいと言うことで、母親からこの大田兄弟にしていただきました。
大田兄弟は奉仕の僕になり、いつの間にか公開講演もするようになりました。

何や、ほうしのしもべって?

奉仕の僕とは、今は援助奉仕者と言われていますが、長老助ける役割の人ですね。
音響や、会計など様々な仕事をします。
まぁ教会で言えば執事になりますね。

その上が長老ということか

そうですね。
エホバの証人でいう長老は、会衆の監督になります。
分かりやすく言えば、長老は牧師のような立場に近いです
しかし実際、牧師は神学校を卒業していますので、聖書の原文であるヘブル語やギリシャ語を学んでいますよね
ここで教育の差は出てくるのかなとは思いますね
大田兄弟はいろいろな兄弟を、私の聖書研究に連れてきました。
ときには親友の兄弟、ときには自分のお兄さん、ときには仲の良い姉妹を・・・
兄弟のねらいはいろんな人を出会わせてあげたかったんだと思います。
ゆきひろ君うちに来ない?
ある日大田兄弟は私をご自宅に招いていただきました。
ご自宅へ到着すると、家で自家製のパスタを作っていたいたところでした。
すでに何名か別の兄弟姉妹がいました。
君がゆきひろ君か、お母さんと一緒に集会へ来ているんだね。
いろんな話を聞きました。
本当にこのときの思い出はとても印象に残っています。
本当に楽しいひとときでした。

エホバでもこういうことがあったりすんねんね

確かにそうですね。
まぁやはりカルト宗教と言えど良い部分も当然ありますよね。
アルバイトをする
私は働きたいと思うようになりました。
どこでもいいから働けるところということで、以前元村君が働いていたところを希望いたしました。

元村君って高校生やんな
アルバイトしてええの?

実は元村君はいろいろな理由から高校へ行かなくなり、そのような理由から家いるようになりました。
しかし家にいると言うことで、少しは家計を助けるためと、勉強のために菓子問屋のアルバイトをしていたようです。
しかしながら、社会に出るととても厳しくこの菓子問屋のアルバイトも数ヶ月で辞めてしまったんですよね
私はハローワークへ行き、社長と面接をして採用されました。
実際に働いてみると、すぐに社会の厳しさを経験しました。
何百種類のお菓子の銘柄を覚えなくてはなりません。
ダンボールの置き方が間違っていれば、社長さんや、従業員の方からものすごく怒られます。
私は何度も怒られ、頭も叩かれました。
しかし当時はこれが普通だったような感じがいたします。

今やっていたらパワハラやな
ある日、この会社の社員さんから、このように言われました。
なぁゆきひろ君、自分は普段何やってるの?

僕はエホバの証人になるための勉強をしています。
なんやシュウキョウかぁ。
じゃ虫とか自分は〇さへんのか?

いや〇したりはしますね。
蚊はやはり刺されると痒いですから…
自分シュウキョウやろ?
そんなんやったらあかんやろ!
当時はかなり理不尽に感じましたが…
ある日いつものように、商品をトラックに積み込んでいると、見覚えのある方達が、あたりを一軒一軒訪問してました。
エホバの証人だ!!
そう思うと働いている菓子問屋の事務所にものみの塔と目ざめよが置いていました。
社員さんが、ゆきひろ君の友達きとったでと言いました。
冗談半分でそのことをおっしゃったと思いますが、しかしながら当時はこのことを言われるとものすごくこたえました…

辛い経験もしとったんやな

とりあえずちょっと長くなりましたのでここまでにしましょうか?

また教えてな!
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