エホバの証人ではなく、聖書が教える本当のバプテスマとは?

エホバの証人の教理では、ハルマゲドンから楽園に行くためにはバプテスマは必須です。
しかし福音的なキリスト教ではどのように教えているのでしょうか?
この記事では、聖書ではどのようにバプテスマについて教えているのかを解説したいと思います。
もくじ
エホバの証人のバプテスマについて
“エホバの証人であるならば、バプテスマは必須条件よ!!”
“そしてハルマゲドンから地上の楽園で生活するためにも、このバプテスマは受けなければ助からないの。”
これは私がエホバの証人の時に母から言われた言葉です。
母親は当時熱心なエホバの証人でしたので、小学生だった私にこのように教えられました。
まずはものみの塔が発行している書籍から学ぶ
バプテスマを受けるためには、まず研究生となってものみの塔が発行している書籍から知識を学んでいきます。
この時に司会者と呼ばれる人と学びます。
私の母親の場合は、”あなたは地上の楽園で永遠に生きられます”の書籍から学びました。
”あなたは地上の楽園で永遠に生きられます”の書籍を一通り学びましたが、しかしまだ伝道者になりたくはなかったので、それに続く”永遠の命に導く知識”でも学びました。
最近は”聖書は実際に何を教えていますか”から学ぶそうです。
それも辞書のように参照している聖句だけですね。
なので主に書籍から学びます。
集会に参加する
書籍を学びはじめて、しばらくしたら司会者から集会に参加されませんか?と誘われます。
ここではさまざまな人たちと集まりあり、聖書の教えを学びます。
私がエホバの証人だったころは、公開講演とものみの塔研究のある日曜日と、書籍研究のある火曜日、神権宣教学校のある金曜日に集会が開かれていました。
書籍研究のみ、近所のエホバの証人宅で少人数で集まって集会を開きます。
今はこの書籍研究は廃止されているようです。
伝道者になる
書籍を司会者と一通り学び終えたら、伝道者になるように勧められます。
伝道とはエホバの証人のトレードマークでもある家から家への訪問伝道です。
最近は駅などで行っている街路伝道が多いようです。
ようやくバプテスマを受けられる
伝道者となってからしばらくして、バプテスマを受けたいことを司会者に伝えます。
司会者は会衆の長老にそのことを伝えます。
司会者は長老を連れて、研究生と面談をします。
面談を終えたのち、直近のエホバの証人の大会などでバプテスマを受けます。
キリスト教と比べれば、バプテスマの道のりはけっこう長いと思います。
早い人で半年、長い人で6,7年かかった人もおられます。
エホバの証人のバプテスマを受ける意味とは・・・
バプテスマを受ける為すべきことを下記にまとめてました。
1、知識と信仰
2、他の人に述べ伝える(伝道)
3、過去の罪を悔い改めて転向
4、エホバとイエスキリストの権威を認める
これよりも重要なことがあります。
それは・・・
エホバに献身することです。
エホバの証人のバプテスマとは、エホバへの献身するために行うものとされています。
私がバプテスマを受けた時に、演壇の話し手から下記の2つの質問をされました。
一つ目の質問・・・
あなたは,イエス・キリストの犠牲に基づいて自分の罪を悔い改め,エホバのご意志を行なうため,エホバに献身しましたか。
二つ目の質問・・・
あなたは,献身してバプテスマを受けることにより,自分が,神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。
出典:エホバの証人研究より
この2つの質問にそれぞれ”はい”と答えます。
エホバの証人のバプテスマとは・・・
エホバに献身し、組織の一員になることなのです。
エホバの証人が用いる新世界訳聖書に、エホバに献身することを引用している聖句があります。
申命記6章15節
あなたのうちにおられるあなたの神エホバは全き専心を要求される神なのである
出典元:新世界訳
バプテスマを受けるための動機となる聖句が改ざんされている?
エホバの証人が使う新世界訳では、全き専心と訳されています。
しかし、本来この聖句は神様の愛を表している聖句となっています。
ねたみは罪になります。
しかしここの文脈で言われているのは、他の神々を崇拝している民を神様はねたむほどに愛しておられると言うことです。
新世界訳に書かれている神の性質は、人間に○○を要求する神です。
つまり○○をしなければ救わないとしているのです。
○○に当てはまる言葉とは・・・
この○○に当てはまる言葉とはどのような言葉が当てはまるでしょうか?
エホバの証人が熱心にされている行動の事です。
1、集会
2、伝道
3、聖書研究
4、統治体の指示を聞く
5、輸血拒否
この最たる行動はバプテスマです。
エホバの証人はバプテスマを受けても救われない
バプテスマはエホバの証人のゴールではありません。
つまりバプテスマを受けてもハルマゲドンで生き残ることはもちろん、永遠の命をいただくことはできないのです。
ものみの塔が発行している書籍、聖書は実際に何を教えていますかではこのように書かれています。
バプテスマは救いを保証するものではありません。使徒パウロはこう書きました。「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」。バプテスマは始まりにすぎません。
出典:聖書は実際に何を教えていますか
第18章 バプテスマ,そして神とあなたとの関係より
まぁバプテスマを受けていても、イエス様に信仰持ってないと救われないというのは分かるけどな
エホバの証人の人たちはご自身が救われるという確信をいだいておりません
つまりそれはエホバが考えることと彼らは言います
この書籍にあるようにキリスト教とは異なりエホバの証人は救いの実感がありません。
つまり救われるかどうかはエホバがお決めになることだということで、
バプテスマを受けた伝道者も自分が永遠の命をいただくことができるのかということが分からないでいます。
聖書が教える本当のバプテスマとは・・・
エホバの証人のバプテスマについて解説しましたが、では聖書が教える本当のバプテスマとは一体どういうことを指すのでしょうか?
1世紀に使徒パウロはローマ人の手紙の中でこのように伝えました。
ローマ6章3節~5節
それともあなた方がたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるためにバプテスマを受けたことを。わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それはキリストの御父の栄光によって死者の中から復活されたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかれるならば、その復活の姿もあやかれるでしょう。
出典:新共同訳聖書
ここでパウロが伝えたいことは、バプテスマとはイエスキリストとの一体化を象徴するものです。
バプテスマは体のすべてを水に浸します。
これはイエスキリストと共に葬られることを意味しています。
そして浸した体を起こします。
これはイエスキリストと共に復活したことを意味しています。
バプテスマを受けることは救いの条件ではない
ここでよく勘違いされやすいのが、バプテスマを受けないと救われないということです。
これは完全な誤りです。
バプテスマを救いの条件として認めた場合、イエスキリストの死が完全ではなく十分ではなかったということになります。
人は自分の罪を意識して、
1、イエスキリストが人の罪を背負って亡くなられた
2、墓に葬られた
3、復活された
これらのことを信じることにより救われます。
さらに使徒パウロはこう述べています。
エフェソの信徒への手紙2章8節
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
出典:新共同訳聖書
この聖句にあるように人は信仰と恵みによって救われます。
そして自らの力、つまり救いは行いによるものではないことも述べています。
エフェソス2章8節から9節
まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰によって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,神の賜物なのです。 そうです,それは業によるのではありません。だれも誇ることのないためです。
出典:新世界訳聖書
因みに救いとはどういうことなのでしょうか?
亡くなった後に地獄ではなく天国に行く望みが持てることを救いと定義しています
バプテスマは必須なのか?
確かにこう見ると救われるためにバプテスマは必須でないように思えます。
バプテスマはすでに救われた人が受けるものだと言うことです。
こう例えることができると思います。
結婚するためには婚姻届けを役所に提出すれば結婚したことになりますよね。
結婚したということを親族や友達に公に表すのが結婚式です。
私はイエスを救い主として認めた。(つまり救われた)
イエスを救い主として公けに表すのがバプテスマということです。
結婚式を挙げなくても夫婦でいられますが、まぁ結婚式を挙げた方がよいですね。
バプテスマを受けないと救われないということはありませんが、受けた方が聖霊の導きは多く与えられます。
聖書の使徒の中でこのように述べられています。
この箇所は新世界訳でも同じことが書かれています。
使徒言行録2章38節
すると、ペトロ(ペテロ)は彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
出典:新共同訳聖書
ペテロは彼らに言った,「悔い改めなさい。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう。
出典:新世界訳聖書
すでに救われている人がバプテスマを受ければ、聖霊を与えてくださるということです。
友人の牧師が言っていましたが、この部分の聖句は新世界訳の方がいいと言っていましたね。
エホバの証人のように学習しないとバプテスマは受けられない?
この記事でご説明したように、エホバの証人はバプテスマを受けるために司会者と書籍研究をします。
それと同様に集会に参加しても学習をします。
なので聖書をたくさん学習をしなければバプテスマを受けることができないと思ってしまいます。
しかしこれは勘違いです。
使徒の働きの中でこう説明しています。
使徒言行録8章26節~38節
さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かいなさい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王のカンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると”霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでるこのがお分かりになりますか」と言った。宦官は「手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
~~~中略~~~
宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこういっているのですか。だれかほかの人についてですか。」そこで、フィリポは口を開き、聖書の個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。バプテスマを受けるのに、何が妨げがあるでしょうか。」そして車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入っていき、フィリポは宦官にバプテスマを授けた。
出典:新共同訳聖書
この宦官は聖書のすべてを知っていた訳ではありません。
フィリポの手助けが無ければ、おそらく福音の意味を理解できなかったようにも思えます。
”バプテスマを受けるのに、何が妨げがあるでしょうか”と言っていることに対して、この宦官は福音を理解し信仰を働かせたように思えます。
その結果、バプテスマを受けたとあります。
このフィリポと宦官の事例を通じて、福音を理解してそれに信仰を働かせればバプテスマは受けられるということが分かるのではないでしょうか。
本当のバプテスマと比較してみる(まとめ)
信仰告白ってイエスを信じるだけですよね?
全然悲観しなくても大丈夫です!!
私が教会に通いはじめて、宝塚フェローシップ教会の東(ひがし)牧師からこういわれたことがあります。
”おかもとさん!全然悲観しなくても大丈夫ですよ。エホバの証人の考え方を少し変えれば我々と同じ考え方ができるようになりますよ!!”
エホバの証人の方々が否定しているキリスト教世界にも、エホバの証人以上に熱心な聖書信仰のあるグループがいくつもあります。
もしご自身で教会を探されるのが難しい場合は、こちらのページを参照してみてください。
Comment
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主人が、エホバにはまり何をいっても聞きません、かわいそうです、どうすればいいのでしょうか
メッセージ感謝いたします。
そうですか・・・
大変困りましたね・・・
私もそうでしたが、エホバの証人の組織に入ってしまうと、周りの意見が悪魔サタンの意見と同じように思ってしまい聞かなくなってしまいます。
私なりに説得できる方法は、エホバの証人が過去挙げた数々の予言が外れていることお伝えするのが効果的ではと考えます。
1975年や2000年になるまでにハルマゲドンが起こること・・・その他いろいろあります。
それと合わせて申命記18章22節に書かれている聖句をお伝えするのもよいのかなと思います。
”預言者(エホバの証人)がエホバの名によって話しても,その言葉が実現せず,その通りにならなければ,エホバはその言葉を話していない。預言者(エホバの証人)が思い上がってそれを話したのである。その人を恐れてはならない』”
申命記18:22
エホバの証人への福音のサイトはご覧になられました?
コンテンツ量が多く、とても詳しく解説されているので参考になるかと思います。
※エホバの証人の予言についても詳しい解説ページがあります。
https://gospel-jw.com/doctrine-false-prophecies/
正しい聖書解釈をすればエホバの証人から離れると思いますが、知識でお伝えするのはやはり限界がありますので、ご主人さんの心を動かすようお祈りすることも重要かと思います。
長々とお伝えいたしましたが、ご主人さんがエホバの証人から離れ、正しい聖書知識をお与えになるよう主にお祈りいたします。